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山口地方裁判所 昭和47年(ワ)138号 判決

原告 高津護

〈ほか四名〉

右五名訴訟代理人弁護士 岡得太郎

同 平山三喜夫

被告 山口市

右代表者市長 堀泰夫

右訴訟代理人弁護士 塚田守男

同 末永汎本

主文

一  被告は原告高津護に対し金二、六七〇万〇、八〇五円、同賀戸誠子、同高津清、同高津慎に対し各金二〇〇万円、同大前ヨシに対し金五〇万円、およびこれらに対する昭和四七年七月一四日以降各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告高津護、同大前ヨシの各その余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告高津護、同大前ヨシと被告との間では、被告に生じた費用を二分し、その更に二分の一を原告右両名の負担、右両名に生じた費用の各二分の一を被告の負担、その余を各自の負担とし、その余の原告三名と被告との間では全部被告の負担とする。

四  第一項はこれを仮に執行することができる。

五  被告において原告高津護のために金六五〇万円、同大前ヨシのために金一二万円、その余の原告のために各金五〇万円の担保を供するときは、右仮執行をそれぞれ免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告高津護に対し金六三〇〇万円、同賀戸誠子、同高津清及び同高津慎に対し各金二〇〇万円、同大前ヨシに対し金一〇〇万円、並びに右各金員に対する昭和四七年七月一四日から各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原告らの地位)

原告高津護(以下、原告護という。)は、亡高津文子(以下、文子という。)の養子で、亡高津紹子(以下、紹子という。)の夫であり、原告賀戸誠子、同高津清、同高津慎は、いずれも紹子の子であり、原告大前ヨシは紹子の母である。

2  (被告の配水池及びその附属設備の設置)

(一) 被告は、昭和一〇年秋、象頭山山頂附近標高八二メートルの位置に、容積一八八〇トンの水道配水池(以下、第一配水池という。)を設置した。

(二) また被告は、昭和三五年第一配水池の北東側に隣接して同じく象頭山山頂附近(標高前同)に容積一五〇〇トンの水道配水池(以下、第二配水池という。)を設置した。

(三) 被告は第一、第二配水池設置に際し、送配水管、溢水槽、集水槽、マンホール等の附属設備を設置した。

3  (本件地すべり事故の発生とその原因)

昭和四七年七月一四日、被告が山口市大字大内御堀の象頭山山頂附近に設置した配水池の送配水管からの漏水により象頭山南東斜面に地すべり崩壊が引き起され、これによって原告らは後記のとおり損害を被った。

そして、本件地すべり事故は、被告が設置した第二配水池の送配水管からの漏水により発生したものである。

(一) まず、右事故時において、第二配水池の送配水管から漏水があったのであるが、その根拠は以下のとおりである。

(1) 前記の如く、第二配水池設置後事故以前にも送配水管が設置された象頭山南東斜面の下部地域では何回となく出水現象が発生していた。

(2) 事故当日においても、降雨がなく、しかも自然湧水もないにもかかわらず午前六時頃には、象頭山山腹から清水が噴出し、小川のようになって原告護方に流れ込んでいた。

(3) 事故当日御堀ベンチュリーの流量は低下し、送配水量は異常に増加し、更に配水池の水位は異常に低下していた。

(4) 本件配水池の送配水管の管路ジョイント部分には補助がなく、送配水管の強度が不足し、漏水が生じやすくなっていた。

(二) 次に、本件地すべり事故が漏水により生じたものであり、降雨や特殊の地形によるものではないことを示すものとして左の事実がある。

(1) 一般的に地すべりの発生の度の多いのは強い雨が短時間に集中的に降った場合であり、時間的には必らず豪雨の最も激しい最中に発生し、少なくとも最も激しい時から二四時間以内に発生する。

しかるに、昭和四七年七月一三、一四日には雨はほとんど降っていない。

(2) 本件地すべり当時の雨量は二七五ミリメートルであるところ、昭和四一年六月三〇日にはこれに近い二四七ミリメートルの雨量があったにもかかわらず、その時には何等地すべりは発生しなかった。

(3) 原告らは、象頭山の赤土を科学技術庁地すべり課に持参提出の上、この赤土と本件地すべりとの関係につき、右赤土は、雨水に因って地すべりを生ずる種類のものであるか等につき検定を求めたところ、同課において右赤土を検討したうえ、本件地すべり事故は水道の漏水によるものであり、昭和四九年一〇月六日群馬県榛名町に発生した災害と同様に漏水による事実を証明した。

4  (責任原因)

第二配水池及びその附属設備の設置管理については、被告において送配水管に腐蝕或いは接続のゆるみ等がないようにすべきであるにも拘らず、設置場所及びその方法を誤り、その管理を怠ったため、前記の漏水を惹起する事態を招いた。

このような誤り及び管理怠慢に至ったについては、次のような事実がある。

(一) 被告が第二配水池を設置した場所は、象頭山山頂の狭隘な所であるため、被告は第二配水池及びその附属設備を設置するにあたり敷地を附加増設せざるを得なかった。

(二) また、第二配水池及び前記附属設備を設置した場所の土質は赤土であるところ、赤土は一度これに人工を加えてこね廻せば俄然含水性の高い軟弱なものとなる性質を有するにもかかわらず、被告は第二配水池と原告らの居住する象頭山底部との間の数十メートルの崖の間の赤土を練り廻し、赤土を軟弱化しながら附属設備の設置工事をした。

(三) 現に象頭山山頂がこのように配水池の設置場所として不適当であったがゆえに、被告は本件地すべりの後、第二配水池をもはや修理することなく他に移転したものである。

(四) 更に右附属設備の設置工事は、底部に崩れ易い僅かな自然石を積み、その上に残土を重ねた安易な工事であり、到底配水池と底地との間の数十メートルの側壁を支え得るような工事ではなかった。これらの自然石と粘土の積み重ねを以てしては前記配水管、送水管、隘水槽、集水槽やマンホールの巨大な重量を支えることは不可能であり、この部分の擁護安全保持のためには鉄筋コンクリートの如き強大な施設を施すべきものであった。

(五) 送配水管の漏水が起きれば当然地すべりや崩壊の危険性があり、下に人家があるのであるから尚更地質調査を行って、送配水管が不安定部を通るのを避けなければならないにもかかわらず、被告は右調査をなさず送配水管を設置した。

(六) 不安定部や配水池盛土部の下の勾配の変曲点で管路にストレスの加わりやすいところに管路のジョイント補助がなされていなかった。

(七) 被告は斜面に排水工事や水抜き工事をなすべきであったにもかかわらず右工事は極めて不充分であった。

(八) 被告は、安価短小なる管を幾本となくつなぎ合せ、しかもこれを土中に埋めた。そしてこの管は鉄でできており、鉄はさび易い性質を有しており、従ってつなぎ合わせ目は故障を起し易い。

(九) また、右管の接続方式は鉛による工法であり、右工法によれば、鉄管の僅かな不等沈下によってもその間に間隙を生じ漏水し易い。従ってゴムによって鉄管を接続すべきであった。

(一〇) 右被告の第二配水池及びその附属設備の設置の瑕疵は、被告の財政上極度に制約された予算で旧式ずさんなる設計と粗悪なる材料をもって、しかも不行届の監督の下に不良不完全なる工事がなされたために生じたものである。右工事施行前後における被告市の財政の制約事情は左により明らかである。

(1) 被告の水道事業を理想的に運用しようとすれば、昭和三五年頃の時価による計算で三〇億円を必要とした。それにもかかわらず現実には最少限の借入れ金一五〇〇万円を辛うじて大蔵省から借入れて、うち一二八九万円を第二配水池に当てた。

(2) 被告は、昭和四二年一二月五日頃、国際電信電話株式会社に土地を売却し、また、昭和四一年二月から三月にかけて象頭山配水池斜面の松木数千本を土止め、がけ崩れ予防に害があるにもかかわらず伐採し売却し、それぞれの代金で財政を補った。

なお、被告には第二配水池および附属設備の管理保存乃至事故防止に関して次のような落度があった。

(一) 被告が第二配水池を設置して以後、漏水の発生が相次ぎ、ことに昭和四七年一月ごろから、その回数も多くなり、その都度住民からの通告、苦情を受けながら、被告は何らの抜本的改善をなさなかったうえ、昭和四七年七月一一日の豪雨に際しても、配水池の漏水が山腹より滝の如く流れていたため、原告護は、近隣関係者らと共に被告にその処置を求めたが、被告は何らなすところなく放置した。

(二) 昭和四七年七月一四日午前六時頃象頭山山腹では、送配水管の破損による噴水がはなはだしくなったため、原告護は、同日午前七時五〇分頃妻紹子をして右状況を被告に電話で伝えさせ、また現場附近住民訴外小林良知も同日午前六時四〇分頃、その妻美代子をして同様に電話させたのみか、右小林自ら水源地に登り、右電話通報によって水源地に登り右状況を知った被告水道局員に対し送配水管の損傷で漏水している旨、従って送配水を中止すべき旨注意を与えたにもかかわらず、右水道局員は何らの処置もなさなかった。

(三) 被告は同日、御堀ベンチュリーの流量の低下、送配水量の異常増、配水池水位の異常低下、山腹の湧水や亀裂の発生等、漏水の拡大を懸念すべき現象が現れていたにもかかわらず、漏水の点検修理を怠った。

(四) 被告において、右のように亀裂の発生、湧水の濁り等典型的な地すべりの前微を確認していたにもかかわらず、住民に対し避難命令を発せず、事態を放置した。

(五) 本件事故発生後直ちに右配水管のバルブを締めて被害の拡大を防ぐ措置をとらなければならないにもかかわらず、被告の水道局員の誤操作により右バルブが閉止されず大量放水が行われたため、被害を一層拡大させた。

(六) 事故前において、大雨洪水警報があったにもかかわらず、被告は何らの処置もなさず放置した。

(七) 被告は前記の如く土止め山崩れ防止の働きをしていた松の壮年林を伐採し苗木を植えたため、斜面の保水力や緊縛力の低下を招くとともに、伐根の腐蝕により空洞を生じ地盤の表層支持力を低下させた。

(八) 今日のメーターをもってしては未だ到底漏水を探知発見することは出来ず、謂わんや被告が現在保有するメーターは人間の代わりとなる程精巧なものでない。にもかかわらず、被告は、昭和四六年三月から、それまで象頭山山頂に存在する管理人の建物に置いていた管理人による監督を廃止した。

5  (損害)

原告護は、象頭山の南東斜面山裾近くの山口市大字大内御堀四八番地に居宅を構え、妻紹子、養母文子らと同居していたところ、本件地すべり事故により、家屋が倒壊し、紹子、文子が死亡したほか、その所有にかかる不動産、動産に損害を被った。

(一) 紹子の死亡による損害

(1) 紹子は本件地すべり事故発生当時四〇才で主婦として家事に従事していたので、その財産的利益の評価については賃金センサスの年令計の女子労働者の平均給与額八四万五、三〇〇円を同人の年間所得とし、同人の稼動可能期間二七年で、その生活費は収入額相当の三分の一とみるのが妥当であるから、これを控除した二七年間の収入からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した額九四六万九、八九七円が本件事故によって喪失した同人の逸失利益である。

(2) 同女は一家の主婦として、家族とともに幸福な家庭生活を送っていた矢先、本件事故に遭い深刻な精神的苦痛を蒙ったので、これを慰藉するには一、五〇〇万円を要した。

(3) 原告護は配偶者として、同誠子、同清、同慎はいずれも子として、右紹子の相続人であるからそれぞれ相続分に応じて同女の右逸失利益および慰藉料請求権を相続した。原告護は八一五万六、六三二円、同誠子、清、慎は各五四三万七、七五五円である。

(4) 原告大前ヨシは紹子の実母であり、その余の原告は前記の身分関係にあるものであって、紹子の死亡によりそれぞれ精神的苦痛を受けたのでこれを慰藉するには原告護につき、一、二〇〇万円、同誠子、同清、同慎につき各五〇〇万円、同大前ヨシにつき三〇〇万円を要する。

(二) 文子の死亡による損害

(1) 文子(明治三二年四月一四日生)は恩給法による普通恩給年額二一万五、〇六四円、普通扶助料年額一〇万三、七五一円計三一万八、八一五円を受給し、本件事故に遭遇しなければ平均余命一〇・三六年間に亘り右収入を得ることができたほか、家事手伝い、菜園等の農耕に従事しており、少くとも前記女子労働者の給与年額八四万五、三〇〇円以上の収入をその労働可能の四年間は得るものであった。そして同女の生活費は収入総額の二分の一であるから右収入額からこれを控除し、ホフマン式計算法により年五分の中間利益を控除した二八五万二、九六一円が同女の逸失利益である。

(2) 文子は七三才であるが、至って健康体で原告護方の家庭にあって幸福な余生を楽しんでいた矢先本件事故に遭い、精神的苦痛を蒙ったので、これを慰藉するには七二〇万円を要する。

(3) 原告護は右文子の養子であり、右損害賠償請求権一、〇〇五万二、九六一円を相続した。

(4) 原告護は、文子の死亡により精神的苦痛を受け、これを慰藉するには五〇〇万円を要する。

(三) 原告護は、本件地すべり事故によって、その所有にかかる家屋倒壊により、一、七一八万円の損害を被った。

(1) 山口市大字大内御堀字棚田四八番地     家屋番号四八番の二

居宅 木造瓦葺平家建

床面積 五八・九九平方メートル

(2) 右附属建物符号5

居宅 木造瓦葺平家建

床面積 四四・〇五平方メートル

(3) 同符号1

居宅、物置 木造セメント瓦葺平家建

床面積 六七・五六平方メートル

(4) 同所同番地 家屋番号四八番の二

居宅 木造セメント瓦葺二階建

床面積 一階 九二・八八平方メートル

二階 三〇・三七平方メートル

(四) 原告護は、その所有する別紙目録記載の動産を本件地すべり事故により失った。その金額は二、〇〇〇万円である。

(五) 原告護は、その所有する以下の土地が、本件地すべり事故により泥土に埋もれ、荒廃したことに伴ない、その復旧費として三、三四二万円の損害を被った。

(1) 山口市大字大内御堀字棚田四八番

宅地 一二一三・二一平方メートル

(2) 右同所五〇番

畑   四二六平方メートル

(3) 右同所字山下四番七

山林  二六四平方メートル

(4) 右同所六番

山林 七七四八平方メートル

(5) 右同所七番

山林  八一九平方メートル

(6) 右同所八番

山林  三二三平方メートル

(7) 右同所八番一

山林  一七一平方メートル

(8) 右同所二一〇三番

山林  一六一平方メートル

(9) 右同所字棚田四九番

山林 一四〇一平方メートル

(10) 右同所二一〇四番

山林   九九平方メートル

6  (結論)

よって原告護は前記5の(一)(3)(4)の合計金二、〇一五万六、六三二円のうち二、〇〇〇万円、(二)(3)(4)の合計金一、五〇五万二、九六一円のうち一、三〇〇万円、(三)(四)(五)の合計金七、〇六〇万円のうち三、〇〇〇万円、以上の合計六、三〇〇万円の、原告誠子、同清、同慎はそれぞれ5の(一)(3)(4)の合計金一、〇四三万七、七五五円のうち各二〇〇万円の、原告大前ヨシは5の(一)(4)の三〇〇万円のうち金一〇〇万円の支払及び右各請求金額に対する事故当日である昭和四七年七月一四日から各支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

(請求原因に対する認否)

1 請求原因1項のうち、原告護が文子の養子であり、紹子の夫であることは認め、その余は不知。

2 同2項はすべて認める。

3 同3項は争う。第二配水池設置以後、二回にわたって漏水、溢水があったことは事実である。

4 同4項は争う。

5 同5項については、損害額を争う。

(被告の主張)

1 配水池の設置について

被告は、昭和九年七月三〇日付内務大臣の認可を得て、市民多年の宿望である水道施設事業に着手し、同一〇年一一月二一日午前一〇時三〇分より元吉敷郡大内村大字御堀(現山口市宮島町)所在の水源地において通水式を挙行、これに至るまでに用地買収も順調にすすみ、右通水式には原告の先々代亡高津幾丸郎も用地関係者として出席し、その際功労者には感謝状の贈呈も行われた。

第一、第二配水池設置の財源は国庫補助と県費補助及び起債により賄われ、しかも水道事業は独立採算制によっており、かりに一般財政が窮迫しているとしても、粗悪な材料を用いたり粗雑な工事をすることは許されない。

また、昭和四二年一一月、被告が御堀水源地付近の市有地を国際電信電話株式会社に売却したのは、当時市内仁保に同会社のインテルサットが新設されるに当り、これを誘致するため同会社職員の宿舎用地に市有地を提供したためであり、財政的事情によるものではない。

更に、被告が昭和四一年二月象頭山市有地一部の松木を売却したのは九六本であり、その理由は松喰虫の被害を受けて枯れたためであり、これも被告の財政的事情によるものではない。

2 本件事故の原因について

本件地すべりは昭和四七年七月一四日午前八時四五分頃発生し、その場所は原告護方付近からその上方象頭山中腹にかけての一帯であって第二配水池の送・配水管部分の東側であるところ、これにより原告護方家屋が埋没し、文子、紹子が死亡した。その後、同日午前一〇時五〇分頃に至り、右範囲の上部の上限から第二配水池の側下において地すべりが発生したがその原因は本件地すべり事故である。

ところで、原告護の家屋を倒壊させ、文子、紹子を死亡させた本件地すべりは、その大部分が、被告の所有地外の原告護所有地などを中心にして発生し、その一部に被告所有地が含まれるとしても、それは山頂部に近い部分であるから、浸透水によってできる地すべり粘土の存在の可能性は少なく、むしろ被告所有地でない山麓部ないし山腹中央部分において地すべりが発生し、それに伴って山頂部に近い市有地の一部も崩落したものである。

また本件地すべり事故の発生原因は、特殊の土質や地形に加え、降雨量その他の自然的条件が作用したものである。すなわち、

(一)  本件地すべり発生地域の土質はもろく含水性が高く風化作用が認められ、その地形は、原告護方から山腹にかけてはゆるやかな傾斜をなしているところ、同人方の家屋は平地と山との接点からやや上位にあるが、山頂に向って右上方に浴のある位置に存在し、山麓を整地して建設されたものである。

(二)  また、事故発生当時の現地の状況をみると、地面に亀裂が生じていたり、湧水があったことが認められる。しかもこの湧水は常時あって特に原告護方隣家の時枝方ではそのため植木も枯死した事例がある。本件事故発生時原告護方付近を流下していた流水が清水であったことから考えるとその大部分は湧水であったと思われる。

(三)  更に、本件地すべりと同時頃、象頭山所在の大内地区内でも山地崩壊が一〇九箇所以上を数えており、本件地すべり事故発生箇所の至近距離においても発生している。

(四)  昭和四七年六月から七月中旬にかけ連日といっていい程の降雨があったばかりか、特に同年七月一〇日から一二日にかけて豪雨があり、しかも、一三日朝まで降り続いた。なお、一一日だけでも二九七ミリメートルにも達した。

(五)  かりに水道管からの漏水が存すれば、水圧によって水が噴出するので容易に発見することができるにもかかわらずこのような事象は認められない。

3 被告の責任について

(一)  象頭山山頂は配水池の設置場所として最も適当な場所である。

(1)  象頭山は標高約八〇メートルであって、配水に関し位置高さとも最適である。

(2)  第一、第二配水池はいずれも強固な岩盤の上に構築されており、本件地すべり発生後においてもなお厳然として存在し、内部にも亀裂その他なんらの異常も認められない。

(3)  稜線に沿って配水池を設置すれば、広さは充分であり、狭隘の地ではない。

(4)  配水池設置場所一帯は、粘土質であるが、この粘土質の地層は表面からある程度の層をなしているものであって、配水池はこの粘土質を取り除き露出した岩盤の上に固定して設置された。

(5)  なお、被告が本件地すべり発生後本件配水池を御堀水源地に移転したのは、象頭山配水池の復旧に要する経費が配水池を新設する経費よりも多額であること及び水道施設の技術面の向上と機械化により直送方式が可能となったことによるものであって、象頭山を狭隘不適当な場所と認めたからではない。

(6)  本件配水池築造工事は、第一、第二配水池とも象頭山山頂を掘り下げる方法により行われたので、掘り下げるに際しある程度の排土を生じたけれども、この排土の大部分は配水池の上部の覆土として使用され、残り僅かが配水池の周辺に置かれたにすぎない。

(7)  本件の送・配水管は、鉄管ではなく鋳鉄管であり、鋳鉄管は、鉄管に比して珪素含有量が多いこと、歪みが少ないこと、電気抵抗が高くしかもジョイント部において絶縁抵抗が非常に高くなることなどから強い耐蝕性を有する。現存する最古の鋳鉄管は一五六二年ドイツのロンゲスアルヤに設置されたものであり、既に四〇〇年以上を経過しており、我国においても神戸市、横浜市などで八〇年を超える鋳鉄管の使用事例が記録されている。

(二)  第二配水池につき昭和三九年四月配水管に故障があって漏水を起したことはあるが、これは鉛を打込み、溶かし込むことによって直ちに完全に補修した。また同四三年六月配水池を溢水させたことがあるがこれも直ちに発見して短時間のうちに復旧した。

漏水については被告水道局関係職員において常に多大の関心を有しているところであり、かりに原告主張のような漏水があった場合は、高圧で送配水している関係でその漏水量は莫大なものとなる筈であり、経済的な面からもそのまま放置されることはありえない。

第三証拠《省略》

理由

一、昭和四七年七月一四日山口市大字大内御堀所在の象頭山南東斜面に本件地すべり崩壊が発生したことは当事者間に争いがない。

被告において昭和一〇年秋、象頭山山頂標高八二メートルの位置に容積一八八〇トンの水道配水池を設置し、その後昭和三五年この北東側に隣接して同標高の位置に容積一五〇〇トンの第二配水池を設置したこと、被告がこれらの設置に際し各附属設備として送配水管、溢水槽、集水槽、マンホール等を設置し以来これらの管理にあたってきたこと、はいずれも当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、原告護において右崩壊当時山口市大字大内御堀字棚田四八番地に居宅を構えていたこと、一方被告設置にかかる前記送配水管等の附属設備が両配水池より象頭山南東側降り斜面に配置され、いずれも鉄製、内径三三センチの送水管および内径三八センチの配水管はこの斜面を南東に降り、漸次南方に向いつつ原告護方居宅の西方約二五メートルの位置を経て、南々西方向山裾に至るまで地下に埋設され、両配水池より原告護方附近までの送配水管の延長は水平距離にして約一七〇メートル、この間の高低差約五〇メートルであったこと、山裾より標高五〇メートルのあたりまでは送配水管の埋設箇所の地表が登山道となっており、更に上方に向っては送配水管の位置を外れて左右に曲折のうえ山頂に至る形状となっていたこと、が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

二、前記崩壊の原因について検討する。

(一)  まず、《証拠省略》によれば次の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(1)  山口市方面においては昭和四七年七月一〇日より一三日にかけて降雨があり、一〇日の時点では山口県下に所によっては二〇〇ミリを越す降雨量が予測される状況で、一一日には象頭山の存する御堀地区において降雨量二七一ミリを記録した。この雨は一三日から一四日にかけては殆ど降り止み(一三日には五ミリの降雨量を記録した。)、一四日朝は象頭山附近の降雨は止んでいた。

(2)  ところが右一四日早朝には前日の状況とは異なり、象頭山南東側斜面の裾近くでは山道の表面を水の流下している箇所があり、また標高五〇乃至六〇メートル附近の送配水管の位置の北東三〇乃至四〇メートルにある斜面上の石垣から水が流出しており、標高六〇メートル附近の送配水管の位置の南西二〇メートル足らずの登山道表面から二箇所水が湧出して流下していた。

(3)  同日午前八時頃までには送配水管を埋設してある登山道の途中に横に走る地面の亀裂が生じており、配水池南東面から二乃至三メートル下の位置にも亀裂が生じていた。

(4)  同日午前八時四〇分頃象頭山南東斜面に本件地すべり崩壊が発生し、大量の土砂が下方原告護方家屋敷内に流入した。この崩壊の範囲は、第二配水池の北東端よりも北東に外れたあたりから、下方送配水管の途中より北東に外れた位置に至る線の北東側で、配水池用附属設備の施されていない区域であった。

(二)  次に《証拠省略》を綜合すれば次の事実を認めることができる。

すなわち、象頭山南東斜面の地盤には浸透水によって粘土化し易い性質の絹雲母片岩の層があり、これが浸透水によって粘土化した場合は地すべり崩壊を起し易いものであった。また前記崩壊区域のあたりには地盤の断層があって、地下の水は自然に低地に向うにとどまらず、この断層沿いに方向を変えることのあり得る状況にあった。前記認定七月一四日早朝当時の水の流下、流出、湧出現象は、降雨のやんでのちの経過時間の長さおよびこれらの現象の見られた箇所よりも上方の集水区域の狭いことからして、浸透した雨水が地下から表面に出たもののみによるとは考え難いものであった。

(三)  ところで前記送配水管について検討するに、これが両配水池乃至第二配水池設置以来前記崩壊当時までの間、腐蝕等による漏水を起すことのない状態に保持されていたことを認めるに足る証拠はなく、かえって第二配水池設置後である昭和三九年四月配水管からの水漏れのあることが発見され、被告において現に鉛打込み等の方法によりその補修工事をしたことは被告の自陳するところであり、《証拠省略》によってもうかがわれるところである。

(四)  以上の事実関係と前掲鑑定人木村春彦の鑑定結果および同人の証言に照せば、同人作成の鑑定書中御堀ベンチュリー記録紙の七月一二日午前零時すぎの記録に関する部分は《証拠省略》に照してこれを採用し難いとはいえ、前記崩壊は自然水の浸透による粘土化の進行していた地盤に送配水管乃至その接合部分からの漏水の浸透が加わったことによって惹起されたものと推認するに足る。

《証拠省略》中右推認に反する部分は、その推論の根拠となる資料が乏しいうえ、上記認定の事実関係および右証拠に照していずれも採用し難い。《証拠省略》によれば、大内地区において七月一一日より一四日にかけて山崩れを生じた箇所の多数あることが認められるけれども、前記認定の具体的状況に照せばこの事実は右推認を左右する事情とするに足らず、他にこの推認を左右するに足る証拠はない。

(五)  被告は右崩壊前に大量の降雨があったことを主張する。

もとより事故の三日前の七月一一日に象頭山の存する御堀地区において一日当り降雨量二七一ミリを記録したことは前記認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、右降雨量は山口市地区における降雨量として昭和三〇年以来の最高値であることが明らかである。

しかしながらこれら証拠によればまた、御堀地区において昭和二五年九月、二六年七月、二九年九月、いずれも二〇〇ミリをこえる日降雨量を記録し、更に同地区の一時間当り降雨量としては昭和三〇年以来右七月一一日の分をこえるもの三回、これと同程度のもの一回を記録していることが明らかである。

これらの事実に照せば、御堀地区において右七月一一日と同程度の降雨のあるべきことは、被告において象頭山斜面に配水池附属設備を設置するに当って当然予測し得たものというべく、他方右斜面の地盤に浸透水によって粘土化し易い性質の層のあったことは前記認定のとおりであり、この層の発見が技術的に不可能乃至は困難であった等の事情をうかがうに足る証拠はないので、送配水管からの漏水があればその影響により、降雨のみによっては発生せずにすむべき地すべり崩壊が惹起されるに至る可能性についても、被告がこれを予測することは可能であったというべきである。

このようにして、崩壊発生の原因として大量の降雨の影響が加わっているにしても、そのことを以て被告の責任を免除すべき事由とすることはできない。

三、第二配水池設置後の附属設備の管理状況を検討する。

象頭山南東斜面の地盤に浸透水によって粘土化し易い絹雲母片岩の層のあったことは前記認定のとおりであるところ、被告において第二配水池および附属設備を設置するにつき、科学的な調査によってこのような地盤の性質を把握の上で、送配水管等からの起りうべき漏水との関係において、この特殊性に応じた地すべり崩壊の予防策を検討、実行したことを認めるに足る証拠はない。その後の配水池および附属設備の保守管理についても、被告において担当職員に地盤の右特殊性および漏水の可能性との関連における警戒、危険の早期発見等に特段の指導等をしたことを認めるに足る証拠はない。

してみると、被告には、送配水管の管理につき瑕疵があったものというべきであるから、被告は国家賠償法二条一項により本件地すべり事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

四、原告ら主張の損害について検討する。

(一)  原告護の妻紹子および養母文子が前記地すべり崩壊によって当日死亡したことは当事者間に争いがなく、右両名とその余の原告らとの身分関係および相続関係が原告ら主張のとおりであることは、《証拠省略》によって明らかである。

(1)  紹子が当時年令四〇才で主婦として家事に従事しており、これをなお二七年間続けうべき状況にあったこと、当時の同年令の女子労働者の平均年収が八四万五、三〇〇円を下らなかったことは、労働省作成の賃金センサス、厚生省作成の簡易生命表と弁論の全趣旨によって明らかである。《証拠省略》に照せば、同女の生活費として右金額の二分の一を要したものと推認される。

これらの事実に基づきホフマン式計算法により二七年分の年五分の割合による中間利息を控除して算出(計数一六・八〇四四八三六九)すれば、死亡当時の同女の逸失利益現価は七一〇万二、四一五円である。

(2)  同女の家族関係および事故の態様等の事情を考慮して、同女の慰藉料は四〇〇万円を以て相当と認める。

(3)右(1)(2)の合計額の相続割合による額は原告護につき三七〇万〇、八〇五円、同誠子、清、慎につき各二四六万七、二〇三円である。

(4)  紹子の死亡に伴う原告ら固有の慰藉料については前記事情を考慮して、原告護につき二五〇万円、同誠子、清、慎につき各五〇万円、同大前ヨシにつき五〇万円を以て相当と認める。

(二)  文子の生年月日の点並びに同女において原告ら主張のとおりに普通恩給および普通扶助料を受けていたことは《証拠省略》によって明らかである。

しかしながら、同女において原告ら主張のその余の収入を得べきであったとの事実については、これを認めるに足る証拠がない。また弁論の全趣旨に照せば、前記恩給、扶助料の収入はすべて同女の生活費に要するものであったと推認される。このようにして同女の逸失利益の損害はこれを認めることができない。

(1)  同女の家族関係および事故の態様等の事情を考慮して、同女の慰藉料は三五〇万円を以て相当と認める。

(2)  前記認定の相続関係によれば、右(1)の請求権を原告護が相続したものである。

(3)  同女の死亡に伴う原告護固有の慰藉料は一五〇万円を以て相当と認める。

(三)  原告護においてその主張の各家屋を所有していたところ、これらが前記地すべり崩壊によって倒壊したこと、同原告においてその主張の宅地、畑、山林を所有していること、についてはいずれも被告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做される。

動産については、《証拠省略》によれば、原告においてその主張の動産(番号五一乃至五四、五九、六一、九〇乃至一〇〇、一〇七乃至一二一、一二四乃至一二七、一三六乃至一六九、一七八乃至一八八、二五九、二九六、三一九乃至三二六、三五七、三六〇、三九七乃至四〇六、四三〇乃至四四三、四七三、四八四乃至四八六、五二四乃至五三二、五六八乃至五七四を除く。)を事故当時までに買得、相続等により前所有者から取得したことが認められる。

(1)  家屋の倒壊による損害を見るに、《証拠省略》を総合すれば、新築後日の浅かった二階建居宅が当時五五〇万円の価値を有したことが認められ、その余の建物三棟については、いずれも大正初期乃至昭和初期建築にかかるものであることが右証拠によって明らかであるから、この事実と右二階建居宅の価値とを対照勘案すれば一〇〇万円を下らなかったものと推認される。合計損害額六五〇万円である。

(2)  土地の荒廃による損害を見るに、《証拠省略》を総合すれば、土地崩壊、土砂流入後の状態を通常の使用に耐えるものに復するための経費として五〇〇万円を下らない損害を生じたことが推認される。

(3)  動産の損害を見るに、前掲各証拠を総合すれば、原告において四〇〇万円相当を下らない家財道具、書画骨董品等を失ったことが推認される。

右(1)(2)(3)の額をこえる損害については、前掲各証拠中これを生じたとする部分はいずれも明確性を欠くことからしてたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

五、以上に基づいて計算すれば、原告護の請求は前記四の(一)(4)(3)、(二)(2)(3)、(三)(1)(2)(3)の金員の合計二、六七〇万〇、八〇五円とこれに対する事故当日である昭和四七年七月一四日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、原告ヨシの請求は四の(一)(4)の五〇万円とこれに対する右同様の損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由あるものとしてこれを認容し、その余をいずれも棄却すべく、原告誠子、同清、同慎の請求はいずれも四の(一)(3)(4)の金員の一部とこれに対する右同様の損害金としてすべてこれを認容すべきである。

よって訴訟費用につき民事訴訟法第八九条第九二条本文、仮執行およびその免脱の宣言につき同法第一九六条第一、第三項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横畠典夫 裁判官 佐々木茂美 裁判官大谷辰雄は研さん中につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 横畠典夫)

〈以下省略〉

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